部下の様子がここ数週間おかしい、と感じている。眠れていないようだし、ミスも増えた。それが疲れによる不調なのか、それとももっと危険な状態なのか。この判断に迷ったまま声をかけられずにいる、という状況があります。
不調のサインと自殺のサインは、大きく重なります。 眠れない、食欲がない、仕事の能率が落ちる。厚生労働省・中央労働災害防止協会がうつ病の症状として挙げているこれらの項目は、同じ資料が「自殺の直前のサイン」として挙げる一覧にも、不眠・食欲の低下・業績の落ち込みという形で並んでいます。
ですから、眠れていない・ミスが増えたという変化が見えていても、それだけで「疲れているだけ」と切り分けることはできません。確かめるのは2つです。不調だけでは説明しにくい行動の変化が出ていないか。そして、本人がどんな事情を抱えてきたか。
産業医のいない職場では、この場面に立ち会うのは社長や直属の上司になります。ただし、最終的な判断を気づいた人だけで引き受ける必要はありません。
重なるサインと、あわせて見る変化
厚生労働省・中央労働災害防止協会「職場における自殺の予防と対応」が挙げる「自殺の直前のサイン」のうち主なものを、一般的な不調でも見られるものと、それだけでは説明しにくいものに、この記事で分けたものです。原文の一覧は分かれていません。
不調とも重なる
- 不眠がちになる。
- 極端に食欲がなくなり、体重が減少する。
- さまざまな身体的な不調を訴える。
- 注意が集中できなくなる。
- 仕事の業績が急に落ちる。職場を休みがちになる。
- 交際が減り、引きこもりがちになる。
- 感情が不安定になる。
不調だけでは説明しにくい
- 大切にしていたものを整理したり、誰かにあげたりする。
- 自殺をほのめかす。
- 自殺についてはっきりと話す。
- これまでの抑うつ的な態度とは打って変わって、不自然なほど明るく振る舞う。
- 周囲から差し伸べられた救いの手を拒絶するような態度に出る。
- 突然の家出、放浪、失踪を認める。
- 過度に危険な行為に及ぶ。
(厚生労働省・中央労働災害防止協会「職場における自殺の予防と対応」の「自殺の直前のサイン」から主なものを取り出し、当記事が一般的な不調との重なりで分類したもの。原文の一覧は左右に分かれていない)
右の列は、それだけで自殺の危険を判定できる項目ではありません。どれも別の事情で起こり得ます。専門家に相談するかどうかを考えるときの材料として使うものです。
身辺整理
世界保健機関(WHO)の手引きは、危険が高い人に見られる行動として「個人的な事柄を突然整理しようとしたり、遺言状を用意する」を挙げています。
職場で目に入るのは、持ち物より仕事のほうかもしれません。引き継ぎ資料が急にきれいに整った、私物が机から減った、といった変化です。退職を考えている人にも起こることなので、これだけで自殺の危険を判断することはできません。
自殺をほのめかす、はっきり話す
「職場における自殺の予防と対応」は「自殺をほのめかす」の例として「知っている人がいない所に行きたい」「夜眠ったら、もう二度と目が覚めなければいい」といった言い方を挙げています。「楽になりたい」「遠くに行きたい」「ここに来るのもこれが最後だろう」「もう、これ以上、耐えられない」といった間接的な表現も、別の箇所で挙げられています。
「死にたいと口にする人は本当には死なない」という言い方を耳にすることがあります。厚生労働省のゲートキーパー養成研修用テキストには、「「死にたい」と言っている人は死なないというのは誤解です」と書かれています。
抑うつ的だった人が、急に明るくなる
WHOの手引きは、強い不安といらだちを抱えていた人が、自殺を決行すると決めてしまい、そのあとで表面的には落ち着いて見える場合がある、と述べています。
沈んでいた人が明るくなれば、「よくなった」と受け取ることもあります。ただ、それが不自然に急な変化なら、明るくなったこと自体を回復の証拠とは受け取らず、注意を向け続けます。
差し伸べた手を拒む
厚生労働省のゲートキーパー養成研修用テキストは、「助けてくれなくていい」「誰も信じられない」「お前に何がわかる」「…(無言)」「死なせてくれ」といった形で援助を拒むことがある、と述べています。
いくつ当てはまれば危険、という基準はない
「職場における自殺の予防と対応」は「このうちいくつ以上を認めればただちに自殺が起きると予測できるというものでもありません」としています。
代わりに示されているのは、背景にある事情との組み合わせです。その事情は「自殺予防の十箇条」としてまとめられており、うつ病の症状、長引く原因不明の身体の不調、酒量の増加、大きな失敗や失職、大切なものを失った経験のほか、自殺を口にすること、自殺未遂に及ぶことが挙がります。上のサインと重なる項目もあります。
同マニュアルは、十箇条の項目が数多く当てはまる人に、上のサインをいくつか見つけたときに、自殺が実行に移される危険は高いと判断すべきだとしています。なかでも「自殺未遂はもっとも重要な危険因子」とされています。
当てはまる項目が少なければ相談しなくてよい、ということではありません。周囲が変調に気づかないまま起こることもあります。同マニュアルは「単身赴任で、そばに家族がいないために、変調に気づかれず、自殺が突然起きるという状況もめずらしくありません」と述べています。
自殺について質問しても、危険は高まらない
サインに気づいても、確かめる言葉が出てこない。同マニュアルは、その理由をこう書いています。
職場の中には、日頃から自殺問題を話題にすることに抵抗を感じる人が存在します。また「自殺について話をすると、かえって自殺の可能性を高めてしまうのではないか」と危惧する人もいます。
WHOの自殺予防の手引きは、この危惧を否定しています。自殺について質問しても、そのことが自殺の行動を引き起こすわけではなく、実際には相手は真剣に話を聞いてもらったことに感謝し、率直に話ができたことで安心する、というものです。
ただし、考えを持ちながら口では否定することはあります。同手引きは、深刻に自殺について考えているにもかかわらず、そのような考えを意図的に否定する人もいる、と述べています。「そんなことはない」と返ってきても、それで危険が消えたわけではありません。
どう声をかけ、どう聴くかという手順は、社員の不調に気づいたときの対応フローにまとめています。
最終的な判断は、気づいた人が引き受けるものではない
危険かどうかの最終判断を、上司や社長が一人で背負う必要はありません。「職場における自殺の予防と対応」は、うつ病などの精神疾患の存在が疑われたり、自殺の危険性が迫っていると考えられたりする例では「産業保健スタッフによる相談や専門医による診断や治療が不可欠です」としています。
ためらわずに動く場面の例として挙げられているのは、本人が実際に自殺の準備をしている、自殺未遂があった、失踪して行方が分からない、といった状況です。未遂のけがが軽く見えるかどうかは、動くかどうかを変える理由になりません。生命の危険が差し迫っているときの動き方は、社員の不調に気づいたときの対応フローの「緊急のとき」にあります。
つなぎ先が思い当たらないときは、外部の相談窓口が使えます。電話番号・受付時間・相談の手段は変わることがあるので、それぞれの公式サイトで確かめてください。
- よりそいホットライン(外部サイト・新しいタブで開きます)(一般社団法人 社会的包摂サポートセンター)— 電話のほかFAX・チャット・SNSでも相談できます。本人だけでなく、気づいた側の相談先にもなります
- #いのちSOS(外部サイト・新しいタブで開きます)(NPO法人 自殺対策支援センターライフリンク)— 電話とチャットがあります
- こころの健康相談統一ダイヤル(外部サイト・新しいタブで開きます)(都道府県・政令指定都市が実施。厚生労働省が全国共通の番号を案内しています)
このほかの窓口や、電話以外の相談手段は、厚生労働省のまもろうよ こころ(外部サイト・新しいタブで開きます)にまとまっています。
※ 出典: 厚生労働省・中央労働災害防止協会「職場における自殺の予防と対応」(編著: 中央労働災害防止協会)、2026年9月10日閲覧。「WHOによる自殺予防の手引き」(世界保健機関「Preventing Suicide: A Resource for Primary Health Care Workers」「Preventing Suicide: A Resource for General Physicians」の日本語訳。平成14年度厚生労働科学研究費補助金「自殺と防止対策の実態に関する研究」研究協力報告書)、2026年9月10日閲覧。厚生労働省「ゲートキーパー養成研修用テキスト」(第3版および2024年版)、2026年9月10日閲覧。自殺の直前のサイン・自殺予防の十箇条・自殺の危険因子・ためらわずに動く場面は「職場における自殺の予防と対応」による。同マニュアルの危険因子の表は高橋祥友「新訂増補 自殺の危険:臨床的評価と危機介入」(金剛出版, 2006年)を出典として示している。自殺について質問することの影響、危険が高い人に見られる行動、本人が自殺の考えを否定することはWHOの手引き、「死にたい」という言葉の受け止め方と援助の拒否はゲートキーパー養成研修用テキストによる。相談窓口の運営団体・実施主体・相談手段は、各窓口の公式サイト(社会的包摂サポートセンター、自殺対策支援センターライフリンク、厚生労働省)による。
※ 江原 和比己(えはらかずひこ)—— 東京メンタルヘルス株式会社 取締役/産業カウンセラー/日本ブリーフサイコセラピー学会 正会員。IT領域で約25年のキャリアを経て産業カウンセラーに転身。AIを活用したメンタルヘルス支援の社会実装に取り組む。