カスタマーハラスメントへの対応方針を店頭やウェブサイトに掲げようとして、手が止まる。お客様を悪者扱いしているように見えないか。現場が苦情を門前払いするようにならないか。接客を大切にしてきた会社にとって、もっともな迷いです。
結論から言えば、労働施策総合推進法にもとづいて厚生労働省が定めた指針の求める対策は、サービスの質とぶつかるようには作られていません。ただし、やり方を誤ると本当にぶつかります。会社がしなければならないことの全体は、カスタマーハラスメント対策の義務化と中小企業がすべきことにまとめています。
対策の対象は、苦情ではなく言動
指針は、お客様からの苦情のすべてがカスタマーハラスメントに当たるわけではないと、はっきり書いています。社会の常識に照らして許される範囲での苦情は、指針の言葉で「いわば正当な申入れ」であり、カスタマーハラスメントには当たりません。
厚生労働省のカスタマーハラスメント対策企業マニュアルも、お客様からの意見や苦情は「商品・サービス、接遇、業務運営等の改善につながる重要な情報」であり、それだけでひとまとめに問題にすべきものではないとしています。
対策の対象になるのは、要求の中身か求め方のどちらかが、社会の常識に照らして許される範囲を超えた言動です。指針は求め方の代表的な例として、大きな声をあげて相手や周りの人を威圧することや、長い時間居座って従業員を引き止めることを挙げています。不満が強いというだけでは、対象になりません。対象に当たるかどうかの見極め方は、カスタマーハラスメントの該当性を見極める三つの着眼点で扱っています。
対象にならないもの
- 苦情や意見を伝えること。
- 不満が強いこと。
- 社会の常識に照らして許される範囲で行われた、正当な申入れ。
対象になるもの
- 要求の中身か求め方のどちらかが、社会の常識に照らして許される範囲を超えている。
- そのうえで、従業員の働く環境が害されている。
指針は、サービスの改善を対策の中に含めている
指針が会社(事業主)にしなければならないと定めていることの1つに、カスタマーハラスメントが起きたあと、同じことをくり返さないための取り組みがあります。必要な場合には、原因や背景となった「商品・サービス・接客等における問題や顧客等とのコミュニケーションの不足など」を直すことも、この取り組みに入ります。必要に応じて、接客のいつものやり方や、職場に根づいた考え方まで見直すことも示されています。
さらに指針は、会社がしたほうがよい取り組みとして、接客や商品・サービス、苦情への対応についての研修などで、従業員の対応力を高めることを挙げています。あわせて、従業員が正当な申入れを踏まえて「真摯に業務を遂行する意識を持つことも重要である」と述べています。
しなければならないことか、したほうがよいことかという重さの違いはあります。それでも、従業員を守ることと、お客様の声を受け止めてサービスをよくすることは、どちらも同じ指針に書かれています。
放置したときに損なわれるのは、ほかのお客様へのサービス
対策をしなければ、サービスが守られるわけでもありません。企業マニュアルは、カスタマーハラスメントが従業員やほかのお客様に及ぼす影響として、次のようなものを挙げています。
- 従業員には、仕事の出来が落ちる、体調をくずす、現場での対応がこわくてつらくなり、持ち場を変える・休む・辞めるといった影響
- ほかのお客様には、店の使い勝手や雰囲気が悪くなる、仕事が遅れてサービスを受けられないといった影響
1人のお客様の範囲を超えた言動に担当者が長く引き止められれば、その間に来たお客様は待たされます。その言動で心に負担を抱えた従業員が、次のお客様に同じ質で応じ続けることも難しくなります。そのしわ寄せを受けるのは、ほかのお客様です。
マニュアルは「はじめに」の中で、対策は従業員が安心して働ける職場づくりに役立ち、「離職防止、人材確保、サービス品質の維持向上につながり」、その結果「多くの善良な顧客を大切にすることにも資する」と説明しています。
ぶつかるのは、苦情そのものを対象として扱ったとき
それでも対策がサービスの質を下げることはあります。指針が方針に求める「毅然とした態度で対応」という言葉だけが従業員に伝わり、何が対象になるのかが伝わらなかったときです。
何が対象になるのかを知らされていない従業員は、苦情を受けるたびに、対象かどうかを自分で決めることになります。口調の強い苦情や、繰り返しの問い合わせであればなおさらです。言動ではなく苦情かどうかで身構えると、正当な申入れまで対象として扱いかねません。そうなれば、話を聞かないまま断ることにもなります。
マニュアルが、正当な申入れを「即座にカスタマーハラスメントと決めつけることは絶対に避けなければなりません」と書いているのは、この誤りについてです。
これを防ぐために会社が先に決めておけることは、次の4つです。
- 正当な苦情の扱いを、対策の方針と同じ文書で示します。従業員を守ることと並べて、正当な意見・要望にはこれまでどおり誠実に対応し、改善に生かすことを書きます。
- 最初の対応の順番を決めておきます。マニュアルは、現場で苦情を受けた従業員が、まず誠実に応じながら、何が起きているのかを正しくつかみ、事実を確かめる順番を示しています。はじめから当てはまるかどうかを決めにいきません。
- 引き継ぐ先を決めておきます。マニュアルは、威圧的な言動など明らかにカスタマーハラスメントと判断される行為を受けたときは、管理職などに相談して対応を引き継ぎ、一人で対応しないよう求めています。当てはまるか迷う場面も、同じ相手に相談できるようにしておきます。指針は、会社が定める相談窓口に対して、カスタマーハラスメントに「該当するか否か微妙な場合であっても、広く相談に対応」するよう求めています。相談先が決まっていれば、現場がその場で決めつけずに済みます。管理職のいない会社では、経営者が引き継ぎ先になります。
- 苦情の記録を、改善にも使います。管理職や経営者が対応の記録を見返し、商品・サービス・接客のどこに原因があったかを確かめる材料にします。
マニュアルは、会社が方針をはっきり示すことで従業員に「企業が従業員を守ってくれる」という安心感が育まれ、上司や相談窓口へ相談しやすくなるとしています。
対策がサービスの質を下げるのは、苦情そのものを対象として扱ったときです。対象になるのは、要求の中身や求め方が社会の常識に照らして許される範囲を超えた言動だけです。そのことを現場に伝えておけば、従業員を守ることとお客様の声を受け止めることは、どちらもかないます。
※ 出典: 厚生労働省「事業主が職場における顧客等の言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」(令和8年厚生労働省告示第51号)、2026年8月21日閲覧。厚生労働省「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル(令和8年度改訂版)」、2026年9月、2026年9月24日閲覧。指針の根拠となる法律は同指針1、正当な申入れの扱いは同指針2(1)、求め方の典型例は同指針2(5)、毅然とした態度で対応する方針は同指針4(1)イ、微妙な場合の相談対応は同指針4(2)ロ、再発防止の措置は同指針4(3)ハ、対応力の向上と正当な申入れへの意識は同指針6(1)、ほかのお客様への影響と対策の意義は同マニュアル「はじめに」と3.1、方針明確化の効果は同マニュアル4.2.1、初期対応の手順と引き継ぎは同マニュアル4.2.2の記述による。
※ 江原 和比己(えはらかずひこ)—— 東京メンタルヘルス株式会社 取締役/産業カウンセラー/日本ブリーフサイコセラピー学会 正会員。IT領域で約25年のキャリアを経て産業カウンセラーに転身。AIを活用したメンタルヘルス支援の社会実装に取り組む。